船明ダムから遊歩道を二俣城址へ
2009年2月6日(金)晴れ 静岡県西部 19700歩 2.5万図 二俣
船明の運動公園から南にむかって歩き出す。最初は大薗から塩見渡橋を渡って米沢(みなざわ)方面へ行こうかと思っていたのだが‥。
大薗へとつづく点線道、榑山のカーブを曲がってみるとなんだか舗装道路が続いているようだった。そのカーブの先に市民の森・ハイキングコースの看板があった。旧天竜市の時代に作られたらしい。去年、二俣から大谷峠を越えて船明にMTBで行った。その峠の西の山を通るコースのようだ。
予定変更、こちらの山へ行くことにした。が、地図が予定をはずれたので範囲外。でも尾根伝いに南に行けばなんとかなるだろう。
194メートルとそんなに高いピークではないが、最初は急だった。
木の間越しに船明の集落が見える。ほどなく三角点のある山頂に着いた。南に進む。鉄塔からはゆるやかに上り下りがある。
送電線にそって尾根道を進むと、お茶畑に出た。その先で道路に行き当たり道路は下っていく。右手の山道は巡視路のようで山道が続いている。山道を進む。
下っていくと、左下に天竜林業高校が見えた。道路を横切って南にも道が続いている。送電線はそこにある変電施設で終わっていた。笹岡開閉所とある。その横の道路をさらに南に進む。
新三河物語(宮城谷昌光著 新潮社刊)の大久保忠世が一時、城主だった二俣城址まで行ってみよう。思いついた最終目的地、地図がないのでそのまま行くとちょっとはずれそうな感じがする。(結果的にはそのまま進めば行けた)
いったん市営住宅のところから左にくだった。右に行くと徳川家康の息子の信康(信長のために自害)の墓がある清滝寺がある。この寺から二俣城址へ行けると思ったが、信康廟の上に上って行くと竹やぶを抜けるとさきほどの
市営住宅にもどってしまった。再び下り、今度はし小学校の南からやっと二
俣城址の上り口を見つけた。
城址は公園のようになっていて望楼があったとされる石垣がある。軽トラックが停まっていて清掃作業中だった。城址から北へ行くと、途中わからなかった清滝寺への入り口があった。こちらに下る。二俣小学校の北西側の斜面
を巻いて看板に従っていくとなんと先ほどの信康廟のそばに出た。
ここの鐘はホンダの本田宗一郎が尋常小学校時代、30分早く鐘を突いて弁当を早く食べたといういわれのある鐘だという。
道路に出て、大谷へと向かう。途中、陸軍中野学校があったという記念碑がある。スパイの養成をしていたのかな?
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