カテゴリー「城址」の20件の記事

2009年11月 1日 (日)

二俣一夜城

2009年10月30日(金) 晴れ 静岡県西部 47.2キロ 
10/29付け静岡新聞夕刊で、(二俣城もなか)の紹介記事を見た。

Aaimg_0004 私は甘党。アルコールは全然だめ。さっそくMTBででかけてきた。

自宅近くのコスモスを見る。毎年近所の方が道路わきの空き地を耕して育てている。感謝。北に走る。いつもの通勤コースをいく。

天竜川を飛龍大橋で渡り、二俣の町に入る。

町中をうろうろしてやっと光月堂さんに着いた。

Aaimg_0025 あった。抹茶は売り切れ。小倉あんを4個買う。

「新聞を見てさっそくきました。」と話をする。

「載せてくれるといったのでお願いしたんだけどあんなに立派な記事とは思わなかった」と、奥さんが言っていた。

阿多古方面へ行こうと思って、坂を上る。途中でせっかくもなかを買ったんだから、ここは二俣城址にも寄って行こうと思った。方向転換。

城址への坂を上って行くと、何か車が多いなあ。

Aaimg_0015 Aaimg_0021 ん?なんだこれは。

天守閣が建っている!そうか、以前一夜城を作ると新聞で見たような気がしたが、それがこれだ!見ると明日からイベントがあるらしい。

本来は、石垣だけがある。

ステージ等の準備中だった。

何の気なしに寄ったのに、いい勘だった。

ここで、おにぎりを食べて帰ってきた。


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2009年6月13日 (土)

京都(10)猿投温泉から海上の森へ

2009年6月6日(土) 雨のち晴れ 愛知県 39000歩 2.5万図 猿投山 瀬戸

1 Aimg_0706 Aimg_0709 平戸橋いこいの広場に車を停めて歩き出す。公園を進むと、マレットゴルフ場があった。何組かの人たちが楽しんでいる。見ているそばで、イーグルをとった人もいる。和気あいあい、楽しそうだ。

Aimg_0712 右手の矢作川はこのあたり勘八峡といわれる。平戸橋あたりから見る河原には珍しい岩がある。

この道も行き止まりになり、左手の登り窯がある横を抜けて前田公園の入り口に出た。

Aimg_0715 Aimg_0717 長い階段を登る。まっすぐだ。途中の坂にはモミジが茂り、秋の紅葉の頃はよさそうだ。

今日は、iwazakiさんのウォーキングデビュー。今までMTBではご一緒したが、歩きは初めて。去年、お父さんと富士山に登りもう少し歩きも鍛えたいと‥。nakamuraさんと三人。

公園はちょっとした山で、途中からは石仏めぐりのコースが枝別れしている。山頂には観音像があった。

Aimg_0725 Aimg_0726 前田公園を抜けて、今は廃線となった猿投駅以北の名鉄三河線の御船駅跡に立ち寄ってみた。あわよくば、廃線跡を歩いてみようと思った。しかし、雨があがったばかりで線路あとは草が濡れている。私はちょっと歩いてみたのだが、nakamuraさんたちは線路わきの道路を行く。

Aimg_0731 この三河線。二度ほど乗ったことがある。いずれも東海自然歩道を歩いた時。広瀬から猿投神社まで歩いた帰り、猿投駅まで歩き猿投~広瀬間に乗車。もう一度は足助から広瀬まで歩いた帰り、広瀬~西中金を乗った。

2003年4月、廃止になる約1年前だった。

廃線跡ウォークはすぐに中止。道路を北に進む。

Iwaimg_1017_2_2 東海環状道路が見えると、左手の田んぼの中に何か見える。行ってみると「御船城址」だっAimg_0751Aimg_0755た。御船川に沿って北西に進む。

加納町の稲荷神社で昼食にする。加納町にも秋葉灯篭があった。

猿投温泉に進む。

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2009年3月22日 (日)

新城市長篠合戦、信長本陣周辺を歩く

2009年3月15日(日) 晴れ 愛知県 32000歩 2.5万図 新城 高里 三河大野 三河富岡

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Aimg_0003 飯田線、茶臼山駅前に車をおいて北へ歩き出す。爆竹の音がずっとしている。

行く手にある松尾神社のお祭りらしい。ちょっと神社に寄ってみた。家康の長男、岡崎信康が陣をおいたところだと、看板があった。神社の中は祭りの準備中でみなさん忙しそう。場違いな感じがして、そそくさと通りぬ Aimg_0007 けた。神社裏を北へ進む。

Aimg_0011 信長本陣跡の看板のところから北へ入る。舗装道路を進み、途中に山住神社への右にのぼる階段があったが、そのまま進む。右にもどる感じで上に道が分かれる。

Aimg_0028左に大きく巻きながら上って茶臼山公園に着いた。三角点があるが、本陣跡はここではないようだ。さらに進み駐車場から山道になり、登りきったところが本陣跡だった。茶臼山神社がある。周りは木が茂っていて見えない。が、かなり高いので長篠の激戦地を上から見下ろしていたのだろう。最前線には家康がいた。

Aimg_0042 Aimg_0044 下って、地図上の点線道を進む。しかし、この道はすべて舗装された林道富永線になっていた。ほぼ点線道どおり。

雁峰林道に出た。昨年11月、雁峰山からこちらへ下ろうとして失敗した。

Aimg_0046 Aimg_0048 今日はこちらから道がわかれば登ろうかと思ってきたのだが‥。林道を右に進んでみる。沢を巻くあたりから点線道があるかと思ったのだが、わからない。引き返して、雁峰山はあきらめた。(が、あとで、ウオッちずで調べたら、少し右に進んだ地点から左に上る通行止と入り口にあった荒れた林道が、その間違えた地点につながっているようだ。)

Aimg_0052 左に雁峰林道を行く。たいくつだ。周りは見えない。舗装はされているが、基点からの距離表示を見て、歩測してみる。最初の一キロは歩数を間違えたか100メートル不足。次の地点はぴたり距離があった。

途中、一ヶ所見晴らしがいいところがあった。吉祥山が見える。

Aimg_0058 上平井林道を下る。通行止めの表示があったが、歩きなら大丈夫だろう。ここまでだれにも会わなかったが、反対方面からバイクが通り過ぎていった。上平井林道は舗装工事中。まだまだ時間がかかりそうだ。途中、日曜日なのに工事をしていた。

2 Aimg_0083林道を下りきって、右に進む。徳定から作手方面の点線道を見たかったのだが、すでに昼過ぎ。今日は無理だろう。徳定から新城城に行くことにした。

が、予定変更したので地図がない。ケイタイの地図を試してAimg_0087 みた。時間はかかるが、なんとか見られる。新城小学校のグランドあたりが新城城だったのだという。南側に土塁が少しあるが、あとはなにもない。

茶臼山駅にもどり、帰宅する。

今回、新城の地名の由来地を見ることができた。

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2009年3月13日 (金)

京都(7)藤川~岡崎~道根往還~箱柳城址

2009年3月8日(日) 曇り 愛知県 41000歩 2.5万図 岡崎 幸田 豊田南部

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Aimg_0611

藤川駅近くに車を停め、歩きだす。旧東海道の藤川宿の西のはずれ。小学校の近くには芭蕉の句碑があった。

今日はsinjiさんと二人。国道一号線を地下道でくぐり田んぼの中の道を歩く。車も通らずのんびりしている。この道は面Aimg_0616 白い看板がある。Aimg_0619

行く手のこんもりした森のような丘には神社があった。船山神社という。

乙川を渡って、左に進む。

旧東海道を少し歩いてみる。

Aimg_0647 Aimg_0655 大平町には大岡越前守の陣屋跡があった。

大平の一里塚を過ぎて東公園をめざす。

そこから道根往還という旧道があるという。今日の目玉だ。

Aimg_0667 Aimg_0668 が、スタート地点が見つからない。公園から東名高速を渡る二つの橋がある。そのどちらかだと思うのだが。西の橋めざして渡った。その上に志賀重昂の銅像があった。足した日本風景論を書いた人だったか‥。

南側に岡崎の町がひろがっている。さらに東へ進むと、駐車場に出てしまった。橋がない。中央公園に繋がる道を橋で越えるはずなのだが。もう一度もどる。ひとつ右に下る道をやしすごしてしまっていた。そちらに進むと道根往 2 Aimg_0674還の道標があった。

これだっ!南の橋を渡ってくる道に合流。道は舗装されている。橋を渡ってさらに進む。

Aimg_0682 池の脇から道が分岐。土の道になる。ところどころ道の脇が切り取られたようになっていて道は起伏がほとんどない。砂のような崩れそうな土質だ。

ほとんど人に会わないのだが、自転車が二台すれちがった。

Aimg_0688 Aimg_0690 小呂湿地の道標がある分岐で、道根往還と別れ小呂湿原と道根往還の間の道を進む。少し下って笹の茂ったところを過ぎるといい道になった。

峠で道が十字路になっている。地図の地点かと思い右へ下 った。箱柳に降りて道路に出て、下ってきたのは地図上の点線道ではないことに気付いた。それよりも東に出たようなのだ。

箱柳からもうひとつ、点線道の山越えをしようと進んだが、次第に道がはっきりしなくなった。湿地帯に踏み込んでしまい、あたりはイノシシらしい足跡だらけ。道はないと確認して箱柳へもどった。

Aimg_0725_2 反対側に箱柳城址の看板があった。

 

 

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鳥羽山城址、見学会

2009年3月7日(土) 晴れ 静岡県西部 
Aimg_0576 浜松市天竜区二俣にある鳥羽山城址の見学会に行ってきた。

こういった見学会は初めてである。ujiharaさんに誘われた。天竜川をみおろす山にある。入り口でパンフレットをもらう。

Aimg_0584 10時半から説明があった。100人くらいはいただろうか。三組に別れて別の場所で説明を聞いた。本丸への大手道の幅が約6メートルもあった。これは安土城と同じくらい。

約1時間ほどの見学会だった。

Aimg_0598本丸を囲む土塁の南西かどには、三角点があった。

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2009年2月12日 (木)

船明ダムから遊歩道を二俣城址へ

2009年2月6日(金)晴れ 静岡県西部 19700歩 2.5万図 二俣

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船明の運動公園から南にむかって歩き出す。最初は大薗から塩見渡橋を渡って米沢(みなざわ)方面へ行こうかと思っていたのだが‥。

Aimg_0851 大薗へとつづく点線道、榑山のカーブを曲がってみるとなんだか舗装道路が続いているようだった。そのカーブの先に市民の森・ハイキングコースの看板があった。旧天竜市の時代に作られたらしい。去年、二俣から大谷峠を越えて船明にMTBで行った。その峠の西の山を通るコースのようだ。

Aimg_0855 予定変更、こちらの山へ行くことにした。が、地図が予定をはずれたので範囲外。でも尾根伝いに南に行けばなんとかなるだろう。

194メートルとそんなに高いピークではないが、最初は急だった。

Aimg_0861 Aimg_0878 Aimg_0880 木の間越しに船明の集落が見える。ほどなく三角点のある山頂に着いた。南に進む。鉄塔からはゆるやかに上り下りがある。

送電線にそって尾根道を進むと、お茶畑に出た。その先で道路に行き当たり道路は下っていく。右手の山道は巡視路のようで山道が続いている。山道を進む。

Aimg_0891 Aimg_0894 下っていくと、左下に天竜林業高校が見えた。道路を横切って南にも道が続いている。送電線はそこにある変電施設で終わっていた。笹岡開閉所とある。その横の道路をさらに南に進む。

Aimg_0913 新三河物語(宮城谷昌光著 新潮社刊)の大久保忠世が一時、城主だった二俣城址まで行ってみよう。思いついた最終目的地、地図がないのでそのまま行くとちょっとはずれそうな感じがする。(結果的にはそのまま進めば行けた)

いったん市営住宅のところから左にくだった。右に行くと徳川家康の息子の信康(信長のために自害)の墓がある清滝寺がある。この寺から二俣城址へ行けると思ったが、信康廟の上に上って行くと竹やぶを抜けるとさきほどのAimg_0926 市営住宅にもどってしまった。再び下り、今度はし小学校の南からやっと二 俣城址の上り口を見つけた。

城址は公園のようになっていて望楼があったとされる石垣がある。軽トラックが停まっていて清掃作業中だった。城址から北へ行くと、途中わからなかった清滝寺への入り口があった。こちらに下る。二俣小学校の北西側の斜面Aimg_0912 を巻いて看板に従っていくとなんと先ほどの信康廟のそばに出た。

Aimg_0955 ここの鐘はホンダの本田宗一郎が尋常小学校時代、30分早く鐘を突いて弁当を早く食べたといういわれのある鐘だという。

道路に出て、大谷へと向かう。途中、陸軍中野学校があったという記念碑がある。スパイの養成をしていたのかな?

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2008年11月23日 (日)

豊田市小原町、桜、紅葉-よくばりウォーク

2008年11月22日(土) 晴れ 愛知県 17600歩 2.5万図 小渡

1旧愛知県の小原村、今は豊田市になった。
2003年の5月、城址めぐりをした。その時は桜は咲いていなくて気付いていなかった。

偶然に金曜日の静岡新聞の朝刊に、小原の桜の記事が写真とともに紹介されていた。

Aaimg_0019 おりしも11月22日は--いい夫婦--の日なんだそうである。カミさんと見物に行った。

会場となっている小原支所に来ると、すでに入り口で車が渋滞している。その奥のほうに駐車場があるというので坂道を上って、工場の駐車場に車を停めAaimg_0005 た。そこから誰も行かない反対方向に歩き出す。

ここの四季桜はいたるところに植えられている。この季節の桜がこれだけ咲くというのは珍しい。でも愛知県ではかなり有名らしい。

Aaimg_0017 鍛冶町を通りすぎて下りきったあたりから左に曲がり、林道鍛冶屋敷2号線を上っていく。ここを行けば市場に出られると見当をつけていた。

途中には熊、注意の看板もあったりする。カーブを曲がったところが駐車場の真裏だった。南の方向に猿投山が見える。

Aaimg_0024 峠を越えて下っていくと左手に分岐した道が市場城址の入り口につづいていた。

右手からたくさんの人が続いてきていた。正面の山に上っていく。ここが市場城址だった。

Aaimg_0040 Aaimg_0043 以前来た時はここの駐車場に車をおいて一日歩いたのだった。城址へと上って行く斜面に桜ともみじの紅葉が競演している。

山頂は石垣だけが残る山城。

Aaimg_0049 Aaimg_0052 本丸の周辺は桜が満開。

ゆっくり楽しんで市場城址をあとにする。

Aaimg_0073途中、お寺の紅葉を見て、市場小学校の横に出る参道を下る。

和紙の里まで歩き、昼食に蕎麦を食べる。

Aaimg_0088Aaimg_0093 その後、最初に満車だった支所に行く。

ここが桜まつりのメイン会場だった。まだ駐車場は満車が続いている。

Aaimg_0094 車のもどり、来た道を帰る。

驚くべきことに反対車線はずっと車が渋滞している。およそ5~6キロもあっただろうか。
これはムリだ!

私たちはまだ早いほうだったのだ。これほどの観光地だとは思わなかった。

来年は自転車で廻ってもおもしろそうかなあ。

 

 

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2008年6月30日 (月)

北へ(14)梅雨の合間に、箕輪町から辰野町へ

2008年6月28日(土) 曇り 長野県 34000歩 2.5万図 伊那 宮木

久しぶりの歩きだった。3回、雨天のため延期、または中止の連続。今月は唯一の歩きになった。
1前回の伊那市からスタートするのだが、最後の春日城址が雨の中急ぎで見たのでもう一度春日城址をよく見たかったのでここからスタートした。
Aa_001春日公園と春日神社の間の駐車場に車を停めた。

今日はいい天気。

あまり晴れもせず、薄曇りでそんなに暑くない。

Aa_005 春日城址を見てから春日神社の中を抜けていく。

桜の木が多い。高遠が有名だが、ここもさぞかしきれいだろうと思う。一度桜の季節にも来てみたいものだ。

Aa_024Aa_019 Aa_018 今日のメンバーはujiharaさん、 nakamuraさん、 totigiさんの四人。ガソリン高騰のおりから4人くらいは参加しないと苦しい。

山寺上村の白山神社には天然記念物のケヤキがあった。

ちょうど近所のご婦人が通りかかり春の桜が咲く下でのやきもち踊りは楽しい踊りだと伺った。

Aa_027 Aa_030 2Aa_039Aa_043153号線の西の裏通りを進む。南箕輪村に入った。

役場の手前には殿村八幡神社があった。

箕輪町の木下にあるという箕輪城址を探した。たぶん、墓地の廻りが土塁と堀があってここが城址だろうと思うのだが、アプローチの方向を間違えたためか看板を見つけられず帰宅後やはりここが城址だと確認した。 3

Aa_056 松島の箕輪町役場の周辺は松島城址だというのだが、墓石と看板があるだけ。

 

Aa_059   役場を過ぎて、北に進むとエプソンの工場にぶつかる。左手に廻りこんで

進む。

川を渡って一旦153号線に出る。そこの道路の九項側が大出城址だった。4

Aa_061 Aa_064 草が伸びていて道が隠されていたが、丘の上に上ってみた東側は下に天竜川が見える。

中央道をくぐってさらに北へ進む。

伊那インターの取り付け道路をトンネルで横切り、羽場駅の西を通過。

5Aa_072 Aa_079 羽場城址があるという手長神社へと向かう。

飯田線の踏み切りを渡った向こう側が羽場城址だった。

神社両側は高い土塁になっている。土塁の外は深い堀。北側は天竜川。

Aa_081 Aa_082 Aa_089 ここで本日の歩きは終わりにした。

羽場駅に戻って飯田線で伊那市にもどる。15:13発。

Aa_093羽場は辰野町であった。

Aa_094 お疲れさまでした。



 

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2008年6月 8日 (日)

北へ、(13)宮田から物見や城、伊那市へ

2008年5月31日(土) 曇りのち雨 長野県 35500歩 2.5万図 伊那

12 3 予報はあまりよくなかった。それでもとりあえず行って雨ならまた考えるということで出発した。

参加者はujiharaさん、 totigiさん、 yamadaさん、 iioさんと五人。

Aa_003 Aa_005 前回の到達地、宮田駅前は区画割りしてあり有料の駐車場になっている。

駅の北側にある踏み切り近くの道路が広いところに停めた。
田植えが終わった田んぼの中の道をほぼ北にまっすぐに行Aa_013 Aa_015 く。

諏訪形で中央高速をまたぐ橋を渡る。

橋を渡ったところに猪垣跡という看板があった。目的地の物Aa_017 Aa_019 見や城からはちょっとそれるが見にいく。ujiharaさんが言うには城址を猪垣ということもあるという。これはひょっとして城址かと思ったのだが、違った。

猪など野生動物を防ぐ垣だった。

Aa_030 先ほどの道に戻り、物見や城をめざして林道を行く。山頂から北東に伸びる尾根上のほぼ中間に出てから、点線道を登ろうと考えた。

林道は点線道の出る手前で終わり、その先は下草が茂り雨が降った後の露をたっぷり含んでいる。尾根上の道に出て、左に登る。

Aa_032 道はあるのだが、潅木が茂り倒木で行く手をさえぎられたりで歩きにくい。ほとんど全身濡れ手しまった。山頂は近いと思われたが道は右に巻いていく。道なりに進むと林道に出た。

山頂北側の鞍部のすぐ下だった。左に進み行く手左に上がる山道を登る。Aa_034 Aa_036 雨も降ってきた。じきに山頂に着いた。初めて看板があった。途中、一度も標識がなかった。

南側がややひらけて見えるところもあるが平らな1122メートル三角点のそばに物見や城の標柱が建つ。

先ほどの林道に戻り、林道を下る。

Aa_043 Aa_044 雨はやまない。下った先にカートのコースがあった。

中央高速を橋で渡り、下っていくと広域農道のわきに、かんてんパパホールがあった。敷地内の隅にある大型のパラソルの下で昼食にする。すっかり雨に濡れて寒い。

Aa_046 Aa_048 ここは広域農道をはさんでかんてんパパガーデンもある。伊那食品の施設。

物見や城が意外に時間がかかり、また電車の時間が心配になってきた。
早々にここも出発。

Aa_052 城(じょう)という地名にあるという城址を探したが、ここはわからなかった。
ujiharaさんの城仲間の方からいただいたという地図を見たのだが、印を付けてくれた丸の範囲が大きくて場所を特定できない。時間もあまりないのでここは、断念。先に進む。

Aa_061 Aa_067 小黒川を渡り、広域農道を進む。文化会館の角から右に曲がり、坂道を下る。途中から右手の上に上るとそこが春日城址だった。

堀が深い。赤い橋を渡ると本丸跡。

Aa_071 Aa_073 南側からは強い傾斜になっていて伊那市の町並みが望まれる。

残念ながらのんびり散策している時間がない。

伊那市駅をめざして、坂を下る。

途中の道は伊那街道の伊那部宿だった町並みだった。

Aa_080 もう少しじっくり見たいところだった。

駅に着いたのは電車が来る10分前。前回よりはやや早かった。

皆さん、あわただしい歩きながら充実していたようだった。

お疲れサマでした。

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2008年4月12日 (土)

北へ、(11)白く連なる山~中川村を行く~

2008年4月6日(日) 長野県南部 晴れ 32600歩 2.5万図 下市田 伊那大島

1  前回の到達地点、山吹駅に向かう車中そこかしこに桜の花が見られた。

正月から始めたこの企画も春になり、冬から春へと移る季節感がいつもの年よりも鮮明に感じられる。

山吹駅から北へ上る。原城という地名が気になったのだ。

今日も山城好きのujiharaさんがいっしょなのだ。shinjiさん、 iioさんと四人。

Aa11_001 Aa11_004 上りきったところに原城の看板があった。やはりここが城址だったのだ。ちょうど樹木の手入れをしていた方にujiharaさんが声をかけたら、作業を中断して説明してくれた。

いつもながら親切な方に不思議とめぐりあう。

ここの地主の方なのだが、梨の木を植えたのも城址を保存するには果樹を植えるのがいいとの木村先生という方にすすAa11_014 められてのことのようだ。ここが二の丸だという。

梨の木にテープが巻いてあるのだが、なぜなのかを尋ねると道路拡張のため伐られてしまうらしい。

Aa11_010 梨畑の向こうに中央アルプスが見える。

いろいろ教えていただいてお礼を言ってこの城址をあとにする。

名子へ向かう途中、近くの神社の祭りで獅子舞がくると待っている人たちがAa11_027 いる。信号機のところですれちがったのがこれ。

いろんな祭りがあるんだなあ。

名子の小学校の近くに城址があるらしい。道路端で立ち話をしていた地元のAa11_033 Aa11_034 おばさんに尋ねた。左手奥にある山の上だという。

少し遠回りになるのだが、行ってみた。

まっすぐの階段を登りきったところが名子城址。公園になっAa11_036 ていた。廻りの土塁と北側の堀らしいのがわずかに城址のなごりか。

北側の鉄橋を渡って道路から元のルートにもどる。

しばらく行って、また”原田のさくら”というのがどこなのかまた尋ねてみAa11_045た。左 手に少し行ったところに老木があるという。すぐ近くだというのでこれも見に行く。

ちょっと早いかなというつぼみながら桜の向こうに中央アルプスが見える。

Aa11_050 Aa11_058 また元の道に戻り、下って片桐松川を渡る。

大栢(おおがや)の神社で休憩した後、飯田線の踏み切りを渡って瑞応寺近くの船山城址を探す。

Aa11_061 Aa11_066 お寺の東の果樹畑のあたりが船山城址だった。

しかしほとんど痕跡がない。東にちょっとした山がありそこが出丸跡だった。

2 Aa11_080 出丸横から東に下る山道があり、この道を下って153号線のほうに向かう。

中田島を通過して153号線を横切り、その先の天竜川を東岸に渡る。

Aa11_082 中央アルプスがますますよく見えるようになった。

中川村役場あたりに大草城址があるとか。

天竜川を見下ろし中央アルプスを眺めながら、昼食にする。すぐ下に松のAa11_090 Aa11_087 大木があり、ちょうど車で通りかかった茨城のご夫婦が巨木を訪ねて廻っているそうでここに木をいっしょに見てきた。

常泉寺を右に見ながら左に折れていくと、大草城址公園Aa11_100 Aa11_103 があった。ソメイヨシノはまだつぼみだったが、見事な枝垂れ桜が一本。

山の上にはエドヒガン桜が満開になっていた。

Aa11_101 折りしも桜まつりの最中だった。

Aa11_123中川村中心部を抜けて下っていくと、養命酒発祥の地の看板がある。

Aa11_121その先の蔵のような建物一帯が養命酒の工場だった。

3 Aa11_139 飯沼で再び天竜川を渡り返して、伊那本郷の駅から電車で山吹駅に戻った。

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2008年3月30日 (日)

北へ、(10)元善光寺から高森町へ

2008年3月23日(日) 長野県南部 晴れ 37900歩 2.5万図 飯田 下市田

1 飯田市民病院の駐車場に車をおいて歩きはじめる。

坂をくだって鼎駅方面に適当に歩いていく。

今日は最初参加者がいなくて最悪ujiharaさんと二人かと思っていたら間際になって6人という久しぶりの大人数になった。

Aa_114Aa_002 nakamuraさん、 itouさん、 yamadaさん、 totigiさん。

鼎駅に着いて、やっと前回の続きを歩きだす。

松川を渡って最初は元善光寺を目指す。飯田市から高森町Aa_004 にかけては天竜川より高い段丘状の台地を横切る形で支流が深く流れている地形が多い。

この松川も飯田線鼎駅あたりの北側に流れている。

Aa_011 Aa_010 段丘のすそにある道を選んでルート設定した。これがよかった。右に153号線に沿って町並みが見える。左は山の斜面。

このあたりの道は旧道だったのかもしれない。

Aa_013 馬頭観音が多い。

最初の目的地、元善光寺の前に踏み切りを渡って麻績神社に寄った。

Aa_018Aa_041 nakamuraさんが昨年来た時桜が見事だったそうだ。

今日は桜はまだ早かった。

神社の横には長野県宝の麻績学校の校舎があった。

Aa_030Aa_031ちょうど、そうじをして いた方が、ここの案内をしてくれた。入り口の戸を開けて熱心に説明をしてくれた。

境内に書いてあった城址の説明を見てちょっと寄っていくことになった。神社の右から坂道を登っていくと座光寺南本城Aa_051 だった。

下りは別ルートで沢ぞいに降りると、元善光寺の裏から境内に入った。

ここはさすがに観光客が多い。

Aa_055 お参りした後、今度はしっかり表から道路に出て、先に進む。

2

南大島川を渡った後、左に折れる。
この上の段丘、新井のあたりに城址があるはずなのだが。
この時には城址の名前もまだ知らなかった。

上の台地に登って民家で尋ねてみた。
Aa_068 Aa_074 やはりここの台地の先っぽにあるようだ。
お寺が見えてきてそこがもう堀の址だった。

ここは松岡城址だった。台地の先までいくとそこにはすばらしい展望が開けていた。
Aa_075 天竜川が左から右に横切り、対岸の奥には伊那山地。

左手奥には南アルプスが見える。
景色を眺めながら、昼食にする。

3 昼食後、台城公園をめざす。

予定外の麻績神社、座光寺本城を見たりしたのでちょっと遅れぎみか。

しかしまたこれもいい。
飯田線にまた近づき、山吹駅のそばを通る。
Aa_093
台城公園は153号線を横切って登っていく。

ここも台地の先が城址だった。
大島城址という。
Aa_097 Aa_105
一部、マレットゴルフ場になっている。
かなり広い。

ここで時間を見ると、伊那大島まで行くのは無理だ。
Aa_107 山吹駅に引き返すことにした。

電車まで15分ほど余裕があった。

今回のコースはかなり歩いたのだが、それでも予定より少し短くなった。
まあ、予定はあってないようなものだが。
お城好きのujiharaさんのために計画したようなコースだった。
なかでも松岡城址がいちばん雰囲気が良かった気がする。


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2007年11月25日 (日)

可児川から、犬山城へ

2007年11月18日(日) 曇り一時雨 岐阜・愛知県 22500歩 2.5万図 犬山 小泉

1 去年3月に内津峠から善師野まで歩いた。善師野から犬山までが最後の愛知県区間なのだが・・・・。それでは少し短すぎる。そこで、可児川から歩くことにした。

名鉄可児川駅の有料駐車場に車をおく。一日600円。今日は歩いた後、名鉄Aa_002 広見線で戻る予定なのでここが便利なのだ。

駅からまっすぐに西北西に向かう。Aa_003

可児川はそんなに川幅はないのだが、橋よりかなり水面が低く渓谷美を見せていた。Aa_008

橋を渡ってすぐに大脇に、鳩吹山の登山者用駐車場があった。ほぼ満車。このへんでは人気がある山のようだ。3~4人が登る準備中らしかった。

Aa_012 Aa_014 ここに土田城址の案内板があった。この左手の172メートルの山頂一帯が城址らしい。地図によれば北から一峰、・・四峰まであり、四峰から反対側の国道41号線の側道まで降りられるようだ。

Aa_015ここは、自然歩道をそれ登ることにする。今日のメンバーの一人、ujiharaさんは、大の城址好き。

急な登りだが、標高差は100メートルほど。じきに稜線にでる。着いたところは本丸跡のようだ。本丸南には堀切があった。

Aa_032 南へ尾根をたどり、四峰からくだる。

41号線の横に降りて左に少し行って地下道をくぐって41号線の西側に出た。

Aa_036Aa_038 自然歩道に戻り、西に進む。

ほぼ平らな山里の間を進み、旧木曽街道の石道標から山道に入る。

このあたりまで自然歩道を歩くハイカーには出会わなかった。

Aa_040 自然歩道の善師野からの合流点(岐阜愛知の県境でもある)まで来ると、ちらほらとハイカーがあらわれるようになった。ここのベンチで休憩した後、継鹿尾山(273.1m三角点)に向かう。

途中の道は尾根道なのだが、階段が段差がいまいち私の足には高すぎAa_043て、おまけに上り下りが意外に急で一汗かいた。

たどりついた継鹿尾山は大勢のハイカーでにぎわっていた。東屋風の展望台からはこれから行く犬山城方面の展望がひろがっていた。

Aa_057 Aa_054 昼食後、先に進む。

寂光院には観光客がおおぜいいた。

階段をくだり、犬山国際ユースホステルの前を通って木曽Aa_061 川のほとりに出る。時折小雨が降ったり晴れたりのめまぐるしい天気が朝から続いていたが、このあたりで少し雨になった。まさか今日は降るまいと雨具を何も持たない私は、ザックカバーを頭の上に広げて、雨をしのぐ。

Aa_064 木曽川沿いの道路を進み、ライン下りの船着場を過ぎ、名鉄の鉄橋をくぐると犬山城が芽の前に見えてくる。

城のお堀を左に廻りこむと正面の大手道を階段で上り、犬山城の前に立つ。15年ほど前に車でお城めぐりの際に立ち寄り、その時に東海自然歩Aa_070 道の看板も見た。その時、いつか自然歩道を歩いてここまで来たいと密かに思ったのだが、やっと来た!

ここは国宝である。

料金を払い登城する。木曽川畔の眺めが美しかった。

帰りは犬山市街を歩き、名鉄電車で可児川駅まで戻った。

今回の参加者はkumagai、 nakamura、 shinji、 ujiharaさん。



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2007年5月24日 (木)

新城の吉祥山周辺を巡る

2007年5月19日(土)雨のち晴れ 愛知県 33.1キロ 2.5万図 三河富岡 新城

1_6 新城市の富岡公民館を基点に岩太郎さん、kumaさんとMTBで周遊してきた。TAKAさんも参加予定だったが、仕事で残念ながら不参加になった。

富岡から比丘尼城址へ

最初に比丘尼城址へ行く。以前、宇利城址を歩いた時、比丘尼城址へというAa_003_3 看板があり、それがどこなのか気になっていた。

今回、下調べしてそれが中宇利山という223メートルのピークだとわかった。

西側から林道を上り、送電線のところから山道に入る。

Aa_004_3道は下草が刈られてきれいに整備されている。

山頂あたりはさくらの木がたくさん植えられている。

Aa_009_3 Aa_020_4 すでに桜の季節は過ぎ、葉が茂っているが、一度満開の桜を見てみたいものだ。


Aa_016_9 山頂北側から中宇利地区を眺め、下山する。

下りは送電線に沿って下り、蛇紋岩地帯を走る。

このあたりは特異な地勢らしい。

Aa_006 下っていった中宇利は今田植えの最中。

このあたりは共同で田を管理しているようだ。

Aa_021_2

野田城址へ

2_7 車がなるべく通らない道を選びながら野田城をめざす。

Aa_022_1今、浜松にプロバスケットチームを招請しようというので新聞をにぎわしているOSGの工場もあった。

豊川を渡る少し手前で、サイコンの距離が20000キロに達した。

Aa_024_4 豊川を渡る。Aa_025_1

この橋は最近(18年)できたらしい。2.5万図にはない。

橋の向こうではウォーキング大会が行われていた。JAのAa_027_1 主催だという。

横浜ゴムの周囲を廻りこんで野田城の駅を過ぎて、野田城址へ。

北側の301号線から看板に従い、左折。

Aa_028_1 Aa_029_2 杉が茂る中で、昼食にした。


吉祥山へ

3_2 本日の最終目的地、吉祥山へとコースをとる。

Aa_037_2 豊川を今度はちょっと下流の橋で、再び渡り返して右に曲がり、神社の西側の道をたどる。

この橋は豊川用水の取り入れ口になっているようだ。

Aa_039_1Aa_040_2 林道はまっすぐにかなりきつい。

林道わきには石仏が短い間隔で建っている。

この道は今水寺跡へと上っていくようだ。

Aa_042_5 中世にこの神社記号のあたりに大きな寺院があったらしい。

神社の南側を尾根を越えていく道があるはずだ。

尾根の東側の林道へ出る。

Aa_044_5

Aa_045

山頂直下まで林道で行けた。


Aa_053_2 山頂は、展望がいい。

しばらく展望を楽しんだ後、休憩所へと続く尾根道のダウンヒルを楽しんだ。

Aa_059_2 Aa_061_1 今回、吉祥山の名前の由来でもある吉祥天を見られなかった。

休憩所にあった看板によると、Cコースのシイの森にあるようだが。いつかまた機会があれば・・。

Aa_062_1

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2007年5月18日 (金)

旧下山村を巡る~その2~

2007年5月13日(日) 晴れ 愛知県 20.8キロ 2.5万図 東大沼 三河湖

01 前回、 松平から大給まで歩いた後、同行したujiharaさんが帰りに立ち寄った、田代城址のことを愛知の城仲間にメールしたそうで、その後、すぐにまた下山の城めぐりをしようという話が決まったそうだ。

それが今回の発端だった。豊田市下山支所で待ち合わせた。浜松からはAa07513_001 私 とujiharaさん、hayasiさん。愛知からgotouさん、kawaiさん。kawaiさんには資料等でお世話になった。

今回、私だけわがままを言ってMTBで廻る。四人はkawaiさんの車で移動。一応廻る順番を聞いておいた。車組が先に出発。私もちょっと遅れてスタート。

Aa07513_005 最初はすぐ近くの大沼城址。入り口に着くとちょうど車から降りて歩きだすところだった。

Aa07513_009 この城址は規模が大きい。階段等も整備されている。

   Aa07513_015 一応、全部いっしょに見て本郭から次の孫根城址へ、Aa07513_016_1Aa07513_017 私は先行する。

大沼の町並みを抜けて、平瀬方面をめざす。
Aa07513_024 峠を越えて下っていくと右手から合わさる道路の脇に看板が見えた。実は、ここの孫根城址がある尾根の地形が、以前下山を巡った時から気になっていた。何となくである。
ここから平瀬に行く点線道をたどってみたかった。今日はやっと現地が見られる。

Aa07513_025   Aa07513_026この看板から右に行き、次の看板から左に林道をたどり、梶神社跡から山道に入る。このあたりは梶という地区。孫根城址も最初は梶氏だったらしい。

車組がなかなか来ない。しばらくしてメー ルしてみる。場所の入り口を書い ておくる。やっと車が到着。梶神社前に車を停める。いっしょに城址に行く。神社の先、林道がカーブしたところから、左手の山道に入る。

Aa07513_032Aa07513_034木が茂っていて回りはよく見えない。左手下には道路が見え、右手下には巴川が見える。いずれも木の間越しにちらっと見えるだけ。尾根の先端に 孫根城址があった。


Aa07513_036 ここでまたみなさんと別れて、平瀬への山道を下る。最初だけちょっと乗れたのだが、すぐに乗れなくなる。ちょっと後悔し始めた。倒木、ヤブで廃道に近い。一人なのでムリは禁物なのだが、下ってしまったので行くしかないか?

Aa07513_039 ふと橋がなかったらどうしようとも思った。が、やっと橋のところまで来た。橋はあった。

コンクリートの橋脚に鉄板を乗せてあるだけのように見える。右手から電動車椅子の女性が来た。今、川のこちら側の道から来たと話かけると、Aa07513_041 最初はよくわからないふうだったが、やっとわかってくれた。

「なに!梶の神社のところから来ただか。昔は大沼の小学校まであの道を通っただが、今は誰も通る人がいない。大水が出るとよく橋が流されたで、こちらの道はとおれただ・・。」

Aa07513_043 この先の神社まで行ってみた。八幡神社だった。橋のこちら側ももう一軒しかないとさきほどの女性が言っていた。

やっと橋を渡り向こう側の道路に出る。振り返るとここは”平瀬のヤナ”だった。

Aa07513_044 川沿いの道を上流へとたどる。

ところどころに川遊びの家がある。

02 加茂広域農道の下をさらに上る。

Aa07513_050 車組は私がヤブこぎでモタモタしている間にすでに大桑城址を見終わったらしい。ujiharaさんからメールが入る。

とにかく大桑に行こう。さらに進む。301号線に出る手前で、ボーイスカウトらしい子どもたちが、川釣りをしていた。

メールからの情報で大桑城址は小学校の裏山だと聞いた。

Aa07513_052

しかし?これが小学校?

新しい立派な建物が丘の上に建っていた。

Aa07513_054 階段の途中に大桑城址への看板があった。自転車をおいて歩いて上る。

Aa07513_061 本郭を見て、後は一直線に代官屋敷に向かう。

近くまで行ったところで電話。

代官屋敷で昼食にするという。

Aa07513_068 急いで、上る。

話を聞くと羽生城址も行ってきたそうだ。

やはり車は早い!

Aa07513_072 昼食後、田代城に向かう。4/29以来。また来てしまった。三回めだ。

今日はしっかり隅から隅まで見学した。

ちょうど地主の方が金クワを持ってタケノコを掘りにきた。城址を見に来たAa07513_075 というとタケノコを持ってけという。お言葉に甘えていただいてきた。

これで下山の城探索は一応終了。車にもどり自転車をしまう。最後に大給城址にもう一度行き、愛知の城の人たちとお別れした。

Aa07513_079 やはり車の人たちと同じにはちとムリがあった。

が、ヤブこぎがなければほぼ同じペースで廻れたかもしれないが・・・。

皆さん、本日はありがとうございました。


 


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2007年5月 6日 (日)

松平から大給(おぎゅう)へ

2007年4月29日(日)晴れ 愛知県 28900歩 2.5万図 東大沼 豊田南部
久しぶりに7人という盛況になった。連休前半の一日、豊田市松平町周辺を歩いてきた。
1_4  301号線の松平郷入り口にある駐車場に車をおいた。

松平神社はここからもう少し、車で入ったところにあるのだが今日は行かない。

Aa_133 駐車場のすぐ北側道路を右に入ってすぐに右に上る山道がある。ここが松平城の入り口。

Aa_005_3 上っていく途中に松平自然歩道に看板があった。寅廻りの道と書いてある。

ここから降りたらこの道を行ってみることにする。

山頂は意外に広い。

Aa_007_2

しばらく周囲を散策して降りる。

自然歩道は城址の下を南へ廻りこむようにして、301号線から森下集落へ行く道路へ少し入った民家の裏庭に出た。ここが大手門だったようだ。


Aa_009_2 Aa_014_6 Aa_016_6


301号の道路脇を歩く。根引峠に向かって上っていく。車の通行がかなり多い。

 

峠から少し下った下山との境界あたりから右に入る。滝脇への点線道をたどってみようというのである。今日は歩きなので少しくらいのヤブは強行する構えである。

Aa_020_3 入り口は畑の奥にある林道。最初少し林道を行き、下りだしてから左の谷に入っていく。

道らしきところをたどるのだが、竹で蛇行する。

ここを勘違いしていて沢の左に点線道があると思いこんでいたのだが、地図を現地でよく見直したら沢の右だった。入り口からして間違っていたのだから・・・。

Aa_023_1 みんなが左をすすんでいるのを沢の右側にわたって道を探してみた。二度めにさがしてみた時に、やっと道があった。Aa_024_3 みんなをよんでやっと正規の道に復帰した。
じきに林道に出て、下る。
滝脇の手前の畑にいたおじさん二人に話しを聞いたら、昔は歩いてその先の・・(地名、聞き取れず)によく行ったと行ってたがという。

滝脇の郡界川にあるダム堰堤から下って行けると思ったのだが、堰堤からは下る道がない。入り口が柵があって跨いで入り、おかしいとは思ったのだが・・。

Aa_030_4
戻って道路を滝脇に行く。

川を渡る手前で農作業中の人に聞いたら、日陰城は話は聞いたことがあるが知らない、それより長松院にお墓があるからそっちを見てこいという。
Aa_042_3
お礼を言って橋を渡り、日陰町でおばあさん二人が立ち話しをしていたので、聞いてみた。行ったことはないがそこの畑の脇から上ったところにあるらしい。
豊田市側と岡崎市側では少し、城址の扱いが違う?
豊田市では、下山にしても松平にしてもしっかりした案内板が設置されていてわかりやすい。ここは、ちょっと行く気をなくしてお寺に行くことにした。せっかく説明してくれたのにごめんなさい。

長松院は二つあるお寺記号の北側だった。

滝脇陣屋は今は荒れてしまって何もないと先ほど聞いたので、ここで戻り、郡界川に沿って発電所マークのところを確かめることにする。

今回、地図を眺めていてこの郡界川の南にある水色の線が発電所マークのところまで、川に平行して伸びていた。これはなんだろうと疑問に思い、これを確認したかった。

Aa_043_1これは、道路を歩きだしてすぐに判明。左手に看板があり、下の川の取り入れ口も見えた。

さらに歩くと二畳の滝があった。滝脇という地名からどこかに滝があるんだろうなとは思っていた。

Aa_059_1ここで道路から階段を河原に下り滝を眺めながら、昼食。

昼食後、再び歩きだす。

発電所が見えてきた。
2_5
驚いたことにここは中部電力の現役でいちばん古い発電所だった。

Aa_062
送電線もどこか低くたよりない感じだ。

西のほうで、北からくる送電線の下をくぐって交差していた。

石飛から郡界川から分かれて山中を通って、大給に向かった。

道路わきには何箇所か石仏がまつられていた。
Aa_065_2 Aa_078 Aa_082
大給の集落から左に山道に入るといつのまにかもう城址に入っていた。

Aa_092 Aa_099 これはかなり大きい城址だ。

虎口あたりには石垣もみえる。
本郭まで上ると南西方向に岩津の町が見えた。

Aa_101 休憩した後、北へ城郭の中を歩き道路へ出た。

Aa_106 301号線を横切り、大田から松平へと戻った。

松平郷の入り口のお寺では、”弘法さん”という行事がとりおこなわれていた。お寺の廻りには数多くの石仏がまつられていた。
Aa_129 Aa_126 Aa_131

帰宅後、調べてみたら昭和60年に松平観光自然歩道が整備されたようだ。
子、丑、寅、卯、辰、の五つのコースがあり私たちはそのうち寅、卯、辰の一部を知らずに歩いていた。

もう少し調べていけばよかったのだろうが、知らずに行って現地で初めて知るのもまた楽しい。今回の二畳滝、岩津発電所など驚きは増した。

Aa_122 今回の参加者はujiharaさん、yamadaさん、totigiさん、kumaさん、itouさん、shinjiさん。







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2007年4月19日 (木)

4/15はヨイコの日、下山415m三角点

2007年4月15日(日) 曇り 愛知県 24.6キロ 2.5万図 東大沼

1_2 前回(4/1)に引き続き、豊田市下山地区と岡崎市額田の山道を巡ってきた。

蕪木の415m三角点山はよい子山と勝手に呼ぶ?。

今日の第一目標はヨイコの日によい子山に登るということ。JAの駐車場にでも車を停めようとしたが、今日はなんだか人が多い。それもオレンジAa_003_2 のウィンドブレーカーを着た人たちが何人も道路わきに立っている。そうか、選挙か。豊田市の市会議員の公示日だった。

また、豊田市下山支所に車を停めた。

2_3 島から南へ行き、点線道を蕪木に行ってよい子山に登るつもりだった。しかしこの点線道が行けない。峠に行くまでに西の道がまずわからず撤退。

Aa_010_4戻って左の道を行くと途中から点線道とおぼしきあたりに林道がある。少し登って峠を越え下っていく。おっ、これはずっと林道ができているか? しかし、下りきったところまで。その先は道を捜すが、田んぼ自体が荒れていて耕作されていない。当然、道も草と木が茂り、自転車では無理だとわかった。田んぼの中は泥沼化していてその中にイノシシらしい足跡が無数にある。

引き返す。せっかく下った道を押して上る。

Aa_015 ここで予定変更。よい子山は後回しにして富尾(とんびゅう)へ先に行くことにした。

南へ舗装された道を上って峠を越えると田んぼがひろがっている。この舗装路は田んぼで終わり。右手にある山道を下ると、笹が茂っているがなんAa_017_2とか下の道路に出る。

しばし、休憩。Aa_019_4

富尾へ越える峠には庚申塔があった。


Aa_033_2 Aa_030_2富尾には城址があるのだが、これがどこやらわからない。

公会堂奥の家方面を探してみたが、石垣に囲まれた平坦なところがあったが、これはちがうようだ。

結局わからずひきあげる。保久へ向かう。

Aa_046_2 保久では小学校で桜まつりの最中。体育館奥の城址に登り、昼食を食べているとおっと地震だ。あとで聞いたら三重県亀山の地震だった。

Aa_042_2 Aa_047

さて、いよいよよい子山だ。

途中、桜を見ながら・・。

Aa_049

3
よい子山は地図で見るかぎりは道がない。しかし、南の外山の集落の田んぼまでは点線道がある。これを進むことにする。
行ってみるとはっきりした車が通れる道だった。それでも再奥の家を過ぎてしばらく行くと、その先は一応山道があるのだが、荒れていて自転車は無理そうなので徒歩で進む。

Aa_053_1 峠に出ると反対がわのすぐそばに舗装道路が上がってきている。しかしこれは左手奥にむかっている。峠から右に踏み跡をたどると次第に左に巻いていき、北側の尾根らしきところから山頂に向かっている。一応赤テープがある。
Aa_060_1 少し平になってきてついに山頂に到着。
展望はない。航空写真用にやぐらがあった。その奥の木にAa_061
手製の看板がある。三角点名、蕪木というらしい。

Aa_063_2 今日は高度計を持ってきた。途中、何の調整もしなっかたのに、なんとぴったり415メートルを示していた。
さすが、よい子山。
来た道をもどる。
この後、蕪木からもう1つ点線道を行こうとしたが、Aa_064 これも最初だけちょっといい感じだったが、すぐに田んぼに出てその先に舗装林道に変わっていた。さらに上ったがどうも方角違いのほうに行きそうなので、引き返し、最初の島へ戻って、車へと戻った。

下山のほうが、案内表示がしっかりしているような気がした。
Aa_069また、全般に路傍に石仏が至るところに見られた。

しかし、点線道は荒れていてわからない又は自転車ではムリというのが多い気がした。

今回は岩太郎さんとふたりだった。

帰途、車で松平神社に立ち寄る。301号線から入る道路左側に、遊歩道らしい道が整備されていた。

Aa_073_1

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2007年4月 5日 (木)

旧下山村を巡る

2007年4月1日(日)  曇り 愛知県 18キロ 2.5万図 東大沼

1_1 雨はあがって暑いくらいの天気になった。

豊田市役所下山支所まで行き、車をおいた。旧下山村の役場だと思う。今日は岩太郎さんと二人で出発する。

このあたりは、2.5万図をながめていると点線道が多く楽しそうだ。下山支所はちょっとした丘の上にあるのでまずは下っていく。301号線に出て右に曲がり、南西に向かう。

Aa_004_1 新井前というバス停近くからガソリンスタンドの横を左に曲がる。すぐに道の右脇に石仏があった。

もう少し行くと、田代城址という看板がある。おっ、これは寄らねば。その先に説明板がある。

Aa_008_3 右に曲がってじきに左手の田んぼの向こうに矢印が向いている。畦上を歩いて見にいった。曲輪跡にはアンテナみたいなおかしなものが建っているが、右手奥の茂みに中を見ると周囲は土塁、その向こうには堀切がきれいに残っている。

Aa_010_3 田んぼわきに戻り、道路を上っていくと民家右奥から山道になる。 

雨上がりで湿っているし、杉の枝などで隠れている下には苔むした岩などがあり、これは下りに油断していると滑りそうだ。Aa_011_3

自転車を押して登る。

Aa_013 上りついた峠には石仏がまつってあるお堂があった。

Aa_016_5 峠からは、道はふたつ。右側の道を下る。

ゆるやかで乗れる。

Aa_017_1





道路に出て、右にすすむ。山に挟まれたのどかな田園風景が続く。

Aa_018_1 この先の点線道の峠を越えて蘭に出ようと目論んだのだが、舗装された農道が予想外に続き、舗装が終わったあともダートの林道が伸びている。ひょっとしてこの林道が尾根を越えているかと先に進んだのだが、これは途中で終わっていた。

Aa_021_1 少し前にあった赤テープのところから山に入って上ったところが、峠だった。

ここを越えてすぐに向こう側の林道に出た。ここを越える前に一度左手に道を間違えてうろつき、意外に時間がかかっていた。すでに11時半。時間だけではなく、暑さからかちょっと疲れぎみ。
この先、ショートカットして杜宇ノ巣峠をめざすことにする。

2_2 下りきって301号に出る。東蘭から左に曲がって、本郷をめざす。

Aa_029_1 ちょっとした峠状のところを越えてくだっていくと、意外に早く本郷だった。

本郷に十字路状のところには左豊川という道標が建っていた。

Aa_030_1

この時点で私はまだ杜宇ノ巣峠がどこなのかはっきりわかっていなかった。

なんとなく本郷から北に行き保手沢からの点線道を右に入り、送電線をくぐるのがそうかなあと思っていた。で、そのとおりに行ってみると、峠には着いた。

Aa_037_1 しかし、これはちょっと下るのは無理かと思われた。倒木が多すぎる。

峠から南に尾根の東側を巻くように道がある。この道を行ってみた。しかしこれも南のピークあたりでなくなり、右側に送電鉄塔が見えたので、木の間をぬっていく。とりあえず、鉄塔の下で昼食にする。

Aa_040 巡視路をくだり、右から上ってくる道に出た。これが杜宇ノ巣峠への道か。

Aa_042_1

左に上がっていくと峠に出た。

Aa_044_3 先ほどの道よりは行けそうだ。そのまま下る。押したままてごわい竹やぶを通過すると道路が見えた。岩倉に出た。

ちょうど、この家のおばあさんが出てきたので、話を伺う。

Aa_046_1 やはり、杜宇ノ巣峠だということだった。

気をつけて行きなさいと、励まされた。

その少し先まで下って行くと、左手の地図上では神社マークがあるところから若い女性が出てきて、停めてあった車に乗っていってしまった。

Aa_050_2 ん・・。何かやってるんだろうか。道からそれて入ってみると、お堂の中におじいさんと、お孫さんらしい子供がいた。

右側の掛け軸には、お釈迦さまの涅槃図が描かれている。

お断りして写真を撮らせていただいた。そこへおばあさんが箱を持ってやってきた。せっかくお参りしていただいたから持っていきささいと、お餅をふたつずついただいた。

Aa_060 色がきれいでやわらかい。家に帰って仏壇に上げてからいただいた。甘くておいしかった。

さて、今日はこのあたりで終了する。日折峠まで行き車に戻る。

Aa_058_2

今回は「忘れられた街道」並びに、ナワ~ルド@峠おやじさんの杜宇ノ巣峠の項を参考にさせていただいた。

車での帰り道に、千万町の茅葺屋敷をのぞいてみたら、入り口のサイン帳に「忘れられた街道」の文字が見えた。筆者の中根さんが3/22に訪れていたようだ。売店で聞いてみたらよくここに来られるそうだ。


 

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2007年3月20日 (火)

風切山、そしてまた宇利城址

2007年3月17日(土) 晴れ 愛知県 25000歩 2.5万図 三河富岡
Photo_7 3月4日に常寒山に行った時、吉川から小畑へ越える峠まで行って、山吉田へ引き返した。その時、峠から西に伸びている山道がなんとなく気になってもう一度、今度は歩いて行ってみた。

今回は逆に小畑から登った。

中宇利の信号機の交差点南の道路わきに車を停めた。

Aa_005_2

ゴルフ場入り口を過ぎて川の堤防を歩く。川の両側は田んぼと柿の畑。

珍しいと思ったのは柿のハウス栽培。ちょうど、農家と方が出てきたので話をする。ハウスに暖房を入れると平常より二ヶ月くらい早い8月ごろ出荷でいきるとか。しかし、いま燃料費とハウスの周りをおおうビニールが値Aa_007 Aa_008_2 上がりしてお休み中だという。それでもまわりを囲ってあるので少し早く収穫できるそうだ。

小畑集落を過ぎて、池の奥に道標があった。

Aa_012_1左 山吉田 あきは道 と見える。

この道は秋葉街道らしい。

Aa_016_4 ゆるやかに上っていくとじきに峠に着いた。二人の道祖神が迎えてくれた。

この道は林道でボーイスカウト吉川野営場を通り、吉川峠にAa_017つながっている。

峠から左にあがる点線道を登る。最初はまあまあきれいな道だったが、次第にあやしくなってきた。

Aa_019_3それでも道は続いていて尾根をはずさずに行けば行ける。最初の吉川への分岐道は尾根をはずれて歩いていたので、見落としたようだ。次の分岐もはっきりわからず、しかし左から登ってくる道はわかった。

Aa_023 Aa_024_2 そのまま道なりに尾根をすすみ、ひとつたぶん222メートルのピークに登ってから下りになった。この辺はちょっとどこにいるのかわからなかったのだが、下りきって舗装道路に出た。そこに桧峠という石碑があった。

Aa_027 Aa_036_1 そこは小畑と吉川をむすぶ道路だった。右に下って吉川にでる。

大入川の堤防を下って、風切山の東から山頂方向に向かう林道から登りだす。

Aa_038_2 最初、豊川用水を渡り、少し登ると新城市の廃棄物処分場があった。

林道終点から山道になる。沢をつめて行ったのだが、稜線近くなって道がはっきりしなくなる。むりやり急斜面を登りつめてやっと稜線に出た。

Aa_046 Aa_042 この沢にはところどころにショウジョウバカマが咲いていた。

稜線を右にしばらく行くと風切山山頂に達した。

Aa_048 Aa_052_2 山頂にはボーイスカウトの人たちがいた。

南と西は木が伐りはらわれていて見晴らしがいい。nakamuraさんがひさしぶりに展望がいい山だなあと感想をみらす。まったく・・・。

Aa_056_2 昼食の後、南に稜線をたどる。

浅間峠から右に下る予定だったが、まっすぐ稜線を行けそうな道が続いている。そのまま進むことにした。宇利城址北の尾根から右に折れて林道に出た。

Aa_063_1 せっかくだから、まだ行ったことがないitouさんと、城址に寄る。話をするうち、itouさんも宮城谷昌光さんのファンであることがわかった。今度、本を貸すと話がきまる。

城址を下り、田んぼの中の道をすすめば車を停めた中宇利はまもなくAa_065_1 だった。

今回の参加者はnakamuraさん、itouさんとの三人。

 

 

 

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2007年2月 7日 (水)

宇利城址と風越峠

2007年2月3日(日) 晴れ 愛知県 16400歩 2.5万図 三河富岡

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「風は山河より」第一、ニ巻 新潮社版、宮城谷昌光著

三ケ日から宇利峠を越えて、富岡に出る。八名中学の東の工業団地、オーエスジーの裏に車を停めて歩きだAacimg0003す。

宇利城址は熊谷直実の子孫、重実(しげざね)の時、徳川家康の祖父にあたる松平清康が攻めて落城した。清康がAacimg0006 陣を張った冨賀(ふか)寺を合わせて、周辺を歩くコースを考えた。

まあ、はっきりコースを決めたのは歩き出してからであった。工場の北側の敷地内に変電所があった。最初、この印を発電所かと勘違いしてわざわざ見に行ってきた。

Aacimg0009 送電線記号が道路と重なって見落としていたからである。

152.2m三角点がある尾根を歩いていく。ところどころ道Aacimg0012がはっきりしないところがあったけれどおおむね尾根づたいに、行けば間違いない。 三角点を過ぎ、下ると峠状の道が横切っていた。さらに進み、風越峠南のピークから南に下る。分岐を過ぎたら左手下に寺の屋根が見えAacimg0023た。

道らしき踏み跡を歩いて寺のいちばん奥に降り立った。こんなところからごめんなさい。

Aacimg0027 古い墓の前にはこんな看板も・・。

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宇利城の戦いは永禄三年(1530年)だったという。

Aacimg0052 近くの南馬場、北馬場を歩いてみた。田んぼを挟んでの丘稜。北馬場の中を通る草の道は馬が駆けぬけたところなのか?

Aacimg0053_1  農家の人が柿の木の手入れをしていた。樹皮についた虫などを落としてやるのだという。手入れが済んだ木は白くきれいになっていた。

Aacimg0058 いよいよ宇利城址に行く。田んぼを横切り尾根を登ると・・。

途中には討ち死にしたという松平右京亮の墓。

Aacimg0064さらに登ると平らにされた城址に着いた。Aacimg0079

Aacimg0074 軽い昼食の後、さらに北へ。城主が落ちのびていったという尾根を登り、林道に出た。左に下り、林道のゲートを抜けてすぐに右に上がる草が伸びた道がある。

Aacimg0088 ここを登ると風越峠に出る。2004年にTAKAさんと、kumaさんの三人で逆方向からMTBで訪れている。懐かしい。TAKAさんと初めてご一緒した山サイであった。

前回より道が荒れているような気がした。ここは風が鳴っている。風越というだけあって・・。

Aacimg0092 黒田に出て、車にもどる。宇利はよく整備された田んぼが多いように感じた。

今回の参加者は、uiharaさんnakamuraさんshinjiさんyamadaさんと五人。

早めにきりあげて、2時からはkumaさん別宅で昼食会。こちらは、盛況で10人の参加だった。

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2005年12月 1日 (木)

高妻山 2005-8月 上田城

2005年8月27日 百名山 長野県 26200歩

Tn_021_3 久しぶりの初めて登る百名山。69座めだった。以前、戸隠キャンプ場でキャンプした時に散策して登り口だけは確認してあった。途中、一ヶ所鎖場がある。

Tn_037_6 戸隠牧場から登りはじめる。最初は沢沿いの道。

鎖場で先行していた団体に追いついてしまった。

(何だかなあ、まあ私Tn_034_1 らも6人だから団体なんだがあまりに多いと困ったもんです)

この団体に最後まで悩まされた。一不動の避難小屋に着いていつまでもあとを付いていくのはいやだから、休憩もしないでそこそこに出発。後は声が近づいてくるとまた動くという感じで頂上まで行ってしまった。

Tn_006_3 Tn_009_8 それでも少し花はある。リンドウ、マイヅルソウの実も付いていた。

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Tn_011_1 山頂近くの最後の登りはきつかった。団体にせかされたような格好で、ujiさんがまいってしまった。

昼食の後、今度は団体の後から下山する。

Tn_032_5 尾根は南北になっている。おかげで午後になり、東側の谷にあるガスにブロッケン現象が見られた。

この日は戸隠キャンプ場でテント泊。

翌日、戸隠奥社を見学。

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その後には、上田城も見学。

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ここは池波正太郎の真田太平記の舞台でもあり、また、内田康夫の戸隠伝説殺人事件にも登場する。いつか訪れたいと思っていた。念願がふたつ(高妻山、上田城)かなった。

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