二俣一夜城
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2009年6月6日(土) 雨のち晴れ 愛知県 39000歩 2.5万図 猿投山 瀬戸
平戸橋いこいの広場に車を停めて歩き出す。公園を進むと、マレットゴルフ場があった。何組かの人たちが楽しんでいる。見ているそばで、イーグルをとった人もいる。和気あいあい、楽しそうだ。
右手の矢作川はこのあたり勘八峡といわれる。平戸橋あたりから見る河原には珍しい岩がある。
この道も行き止まりになり、左手の登り窯がある横を抜けて前田公園の入り口に出た。
長い階段を登る。まっすぐだ。途中の坂にはモミジが茂り、秋の紅葉の頃はよさそうだ。
今日は、iwazakiさんのウォーキングデビュー。今までMTBではご一緒したが、歩きは初めて。去年、お父さんと富士山に登りもう少し歩きも鍛えたいと‥。nakamuraさんと三人。
公園はちょっとした山で、途中からは石仏めぐりのコースが枝別れしている。山頂には観音像があった。
前田公園を抜けて、今は廃線となった猿投駅以北の名鉄三河線の御船駅跡に立ち寄ってみた。あわよくば、廃線跡を歩いてみようと思った。しかし、雨があがったばかりで線路あとは草が濡れている。私はちょっと歩いてみたのだが、nakamuraさんたちは線路わきの道路を行く。
この三河線。二度ほど乗ったことがある。いずれも東海自然歩道を歩いた時。広瀬から猿投神社まで歩いた帰り、猿投駅まで歩き猿投~広瀬間に乗車。もう一度は足助から広瀬まで歩いた帰り、広瀬~西中金を乗った。
2003年4月、廃止になる約1年前だった。
廃線跡ウォークはすぐに中止。道路を北に進む。
東海環状道路が見えると、左手の田んぼの中に何か見える。行ってみると「御船城址」だっ
た。御船川に沿って北西に進む。
加納町の稲荷神社で昼食にする。加納町にも秋葉灯篭があった。
猿投温泉に進む。
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2009年3月15日(日) 晴れ 愛知県 32000歩 2.5万図 新城 高里 三河大野 三河富岡
飯田線、茶臼山駅前に車をおいて北へ歩き出す。爆竹の音がずっとしている。
行く手にある松尾神社のお祭りらしい。ちょっと神社に寄ってみた。家康の長男、岡崎信康が陣をおいたところだと、看板があった。神社の中は祭りの準備中でみなさん忙しそう。場違いな感じがして、そそくさと通りぬ
けた。神社裏を北へ進む。
信長本陣跡の看板のところから北へ入る。舗装道路を進み、途中に山住神社への右にのぼる階段があったが、そのまま進む。右にもどる感じで上に道が分かれる。
左に大きく巻きながら上って茶臼山公園に着いた。三角点があるが、本陣跡はここではないようだ。さらに進み駐車場から山道になり、登りきったところが本陣跡だった。茶臼山神社がある。周りは木が茂っていて見えない。が、かなり高いので長篠の激戦地を上から見下ろしていたのだろう。最前線には家康がいた。
下って、地図上の点線道を進む。しかし、この道はすべて舗装された林道富永線になっていた。ほぼ点線道どおり。
雁峰林道に出た。昨年11月、雁峰山からこちらへ下ろうとして失敗した。
今日はこちらから道がわかれば登ろうかと思ってきたのだが‥。林道を右に進んでみる。沢を巻くあたりから点線道があるかと思ったのだが、わからない。引き返して、雁峰山はあきらめた。(が、あとで、ウオッちずで調べたら、少し右に進んだ地点から左に上る通行止と入り口にあった荒れた林道が、その間違えた地点につながっているようだ。)
左に雁峰林道を行く。たいくつだ。周りは見えない。舗装はされているが、基点からの距離表示を見て、歩測してみる。最初の一キロは歩数を間違えたか100メートル不足。次の地点はぴたり距離があった。
途中、一ヶ所見晴らしがいいところがあった。吉祥山が見える。
上平井林道を下る。通行止めの表示があったが、歩きなら大丈夫だろう。ここまでだれにも会わなかったが、反対方面からバイクが通り過ぎていった。上平井林道は舗装工事中。まだまだ時間がかかりそうだ。途中、日曜日なのに工事をしていた。
林道を下りきって、右に進む。徳定から作手方面の点線道を見たかったのだが、すでに昼過ぎ。今日は無理だろう。徳定から新城城に行くことにした。
が、予定変更したので地図がない。ケイタイの地図を試して
みた。時間はかかるが、なんとか見られる。新城小学校のグランドあたりが新城城だったのだという。南側に土塁が少しあるが、あとはなにもない。
茶臼山駅にもどり、帰宅する。
今回、新城の地名の由来地を見ることができた。
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2009年3月8日(日) 曇り 愛知県 41000歩 2.5万図 岡崎 幸田 豊田南部
藤川駅近くに車を停め、歩きだす。旧東海道の藤川宿の西のはずれ。小学校の近くには芭蕉の句碑があった。
今日はsinjiさんと二人。国道一号線を地下道でくぐり田んぼの中の道を歩く。車も通らずのんびりしている。この道は面
白い看板がある。
行く手のこんもりした森のような丘には神社があった。船山神社という。
乙川を渡って、左に進む。
旧東海道を少し歩いてみる。
大平の一里塚を過ぎて東公園をめざす。
そこから道根往還という旧道があるという。今日の目玉だ。
が、スタート地点が見つからない。公園から東名高速を渡る二つの橋がある。そのどちらかだと思うのだが。西の橋めざして渡った。その上に志賀重昂の銅像があった。足した日本風景論を書いた人だったか‥。
南側に岡崎の町がひろがっている。さらに東へ進むと、駐車場に出てしまった。橋がない。中央公園に繋がる道を橋で越えるはずなのだが。もう一度もどる。ひとつ右に下る道をやしすごしてしまっていた。そちらに進むと道根往
還の道標があった。
これだっ!南の橋を渡ってくる道に合流。道は舗装されている。橋を渡ってさらに進む。
池の脇から道が分岐。土の道になる。ところどころ道の脇が切り取られたようになっていて道は起伏がほとんどない。砂のような崩れそうな土質だ。
ほとんど人に会わないのだが、自転車が二台すれちがった。
小呂湿地の道標がある分岐で、道根往還と別れ小呂湿原と道根往還の間の道を進む。少し下って笹の茂ったところを過ぎるといい道になった。
峠で道が十字路になっている。地図の地点かと思い右へ下 った。箱柳に降りて道路に出て、下ってきたのは地図上の点線道ではないことに気付いた。それよりも東に出たようなのだ。
箱柳からもうひとつ、点線道の山越えをしようと進んだが、次第に道がはっきりしなくなった。湿地帯に踏み込んでしまい、あたりはイノシシらしい足跡だらけ。道はないと確認して箱柳へもどった。
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2009年2月6日(金)晴れ 静岡県西部 19700歩 2.5万図 二俣
船明の運動公園から南にむかって歩き出す。最初は大薗から塩見渡橋を渡って米沢(みなざわ)方面へ行こうかと思っていたのだが‥。
大薗へとつづく点線道、榑山のカーブを曲がってみるとなんだか舗装道路が続いているようだった。そのカーブの先に市民の森・ハイキングコースの看板があった。旧天竜市の時代に作られたらしい。去年、二俣から大谷峠を越えて船明にMTBで行った。その峠の西の山を通るコースのようだ。
予定変更、こちらの山へ行くことにした。が、地図が予定をはずれたので範囲外。でも尾根伝いに南に行けばなんとかなるだろう。
194メートルとそんなに高いピークではないが、最初は急だった。
木の間越しに船明の集落が見える。ほどなく三角点のある山頂に着いた。南に進む。鉄塔からはゆるやかに上り下りがある。
送電線にそって尾根道を進むと、お茶畑に出た。その先で道路に行き当たり道路は下っていく。右手の山道は巡視路のようで山道が続いている。山道を進む。
下っていくと、左下に天竜林業高校が見えた。道路を横切って南にも道が続いている。送電線はそこにある変電施設で終わっていた。笹岡開閉所とある。その横の道路をさらに南に進む。
新三河物語(宮城谷昌光著 新潮社刊)の大久保忠世が一時、城主だった二俣城址まで行ってみよう。思いついた最終目的地、地図がないのでそのまま行くとちょっとはずれそうな感じがする。(結果的にはそのまま進めば行けた)
いったん市営住宅のところから左にくだった。右に行くと徳川家康の息子の信康(信長のために自害)の墓がある清滝寺がある。この寺から二俣城址へ行けると思ったが、信康廟の上に上って行くと竹やぶを抜けるとさきほどの
市営住宅にもどってしまった。再び下り、今度はし小学校の南からやっと二
俣城址の上り口を見つけた。
城址は公園のようになっていて望楼があったとされる石垣がある。軽トラックが停まっていて清掃作業中だった。城址から北へ行くと、途中わからなかった清滝寺への入り口があった。こちらに下る。二俣小学校の北西側の斜面
を巻いて看板に従っていくとなんと先ほどの信康廟のそばに出た。
ここの鐘はホンダの本田宗一郎が尋常小学校時代、30分早く鐘を突いて弁当を早く食べたといういわれのある鐘だという。
道路に出て、大谷へと向かう。途中、陸軍中野学校があったという記念碑がある。スパイの養成をしていたのかな?
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2008年11月22日(土) 晴れ 愛知県 17600歩 2.5万図 小渡
旧愛知県の小原村、今は豊田市になった。
2003年の5月、城址めぐりをした。その時は桜は咲いていなくて気付いていなかった。
偶然に金曜日の静岡新聞の朝刊に、小原の桜の記事が写真とともに紹介されていた。
おりしも11月22日は--いい夫婦--の日なんだそうである。カミさんと見物に行った。
会場となっている小原支所に来ると、すでに入り口で車が渋滞している。その奥のほうに駐車場があるというので坂道を上って、工場の駐車場に車を停め
た。そこから誰も行かない反対方向に歩き出す。
ここの四季桜はいたるところに植えられている。この季節の桜がこれだけ咲くというのは珍しい。でも愛知県ではかなり有名らしい。
鍛冶町を通りすぎて下りきったあたりから左に曲がり、林道鍛冶屋敷2号線を上っていく。ここを行けば市場に出られると見当をつけていた。
途中には熊、注意の看板もあったりする。カーブを曲がったところが駐車場の真裏だった。南の方向に猿投山が見える。
峠を越えて下っていくと左手に分岐した道が市場城址の入り口につづいていた。
右手からたくさんの人が続いてきていた。正面の山に上っていく。ここが市場城址だった。
以前来た時はここの駐車場に車をおいて一日歩いたのだった。城址へと上って行く斜面に桜ともみじの紅葉が競演している。
山頂は石垣だけが残る山城。
ゆっくり楽しんで市場城址をあとにする。
和紙の里まで歩き、昼食に蕎麦を食べる。
ここが桜まつりのメイン会場だった。まだ駐車場は満車が続いている。
驚くべきことに反対車線はずっと車が渋滞している。およそ5~6キロもあっただろうか。
これはムリだ!
私たちはまだ早いほうだったのだ。これほどの観光地だとは思わなかった。
来年は自転車で廻ってもおもしろそうかなあ。
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2008年6月28日(土) 曇り 長野県 34000歩 2.5万図 伊那 宮木
久しぶりの歩きだった。3回、雨天のため延期、または中止の連続。今月は唯一の歩きになった。
前回の伊那市からスタートするのだが、最後の春日城址が雨の中急ぎで見たのでもう一度春日城址をよく見たかったのでここからスタートした。
春日公園と春日神社の間の駐車場に車を停めた。
今日はいい天気。
あまり晴れもせず、薄曇りでそんなに暑くない。
桜の木が多い。高遠が有名だが、ここもさぞかしきれいだろうと思う。一度桜の季節にも来てみたいものだ。

今日のメンバーはujiharaさん、 nakamuraさん、 totigiさんの四人。ガソリン高騰のおりから4人くらいは参加しないと苦しい。
山寺上村の白山神社には天然記念物のケヤキがあった。
ちょうど近所のご婦人が通りかかり春の桜が咲く下でのやきもち踊りは楽しい踊りだと伺った。
役場の手前には殿村八幡神社があった。
箕輪町の木下にあるという箕輪城址を探した。たぶん、墓地の廻りが土塁と堀があってここが城址だろうと思うのだが、アプローチの方向を間違えたためか看板を見つけられず帰宅後やはりここが城址だと確認した。 
松島の箕輪町役場の周辺は松島城址だというのだが、墓石と看板があるだけ。
役場を過ぎて、北に進むとエプソンの工場にぶつかる。左手に廻りこんで
進む。
川を渡って一旦153号線に出る。そこの道路の九項側が大出城址だった。
草が伸びていて道が隠されていたが、丘の上に上ってみた東側は下に天竜川が見える。
中央道をくぐってさらに北へ進む。
伊那インターの取り付け道路をトンネルで横切り、羽場駅の西を通過。
飯田線の踏み切りを渡った向こう側が羽場城址だった。
神社両側は高い土塁になっている。土塁の外は深い堀。北側は天竜川。
羽場駅に戻って飯田線で伊那市にもどる。15:13発。
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2008年5月31日(土) 曇りのち雨 長野県 35500歩 2.5万図 伊那

予報はあまりよくなかった。それでもとりあえず行って雨ならまた考えるということで出発した。
参加者はujiharaさん、 totigiさん、 yamadaさん、 iioさんと五人。
前回の到達地、宮田駅前は区画割りしてあり有料の駐車場になっている。
駅の北側にある踏み切り近くの道路が広いところに停めた。
田植えが終わった田んぼの中の道をほぼ北にまっすぐに行
く。
諏訪形で中央高速をまたぐ橋を渡る。
橋を渡ったところに猪垣跡という看板があった。目的地の物
見や城からはちょっとそれるが見にいく。ujiharaさんが言うには城址を猪垣ということもあるという。これはひょっとして城址かと思ったのだが、違った。
猪など野生動物を防ぐ垣だった。
先ほどの道に戻り、物見や城をめざして林道を行く。山頂から北東に伸びる尾根上のほぼ中間に出てから、点線道を登ろうと考えた。
林道は点線道の出る手前で終わり、その先は下草が茂り雨が降った後の露をたっぷり含んでいる。尾根上の道に出て、左に登る。
道はあるのだが、潅木が茂り倒木で行く手をさえぎられたりで歩きにくい。ほとんど全身濡れ手しまった。山頂は近いと思われたが道は右に巻いていく。道なりに進むと林道に出た。
山頂北側の鞍部のすぐ下だった。左に進み行く手左に上がる山道を登る。
雨も降ってきた。じきに山頂に着いた。初めて看板があった。途中、一度も標識がなかった。
南側がややひらけて見えるところもあるが平らな1122メートル三角点のそばに物見や城の標柱が建つ。
先ほどの林道に戻り、林道を下る。
雨はやまない。下った先にカートのコースがあった。
中央高速を橋で渡り、下っていくと広域農道のわきに、かんてんパパホールがあった。敷地内の隅にある大型のパラソルの下で昼食にする。すっかり雨に濡れて寒い。
ここは広域農道をはさんでかんてんパパガーデンもある。伊那食品の施設。
物見や城が意外に時間がかかり、また電車の時間が心配になってきた。
早々にここも出発。
城(じょう)という地名にあるという城址を探したが、ここはわからなかった。
ujiharaさんの城仲間の方からいただいたという地図を見たのだが、印を付けてくれた丸の範囲が大きくて場所を特定できない。時間もあまりないのでここは、断念。先に進む。
小黒川を渡り、広域農道を進む。文化会館の角から右に曲がり、坂道を下る。途中から右手の上に上るとそこが春日城址だった。
堀が深い。赤い橋を渡ると本丸跡。
残念ながらのんびり散策している時間がない。
伊那市駅をめざして、坂を下る。
途中の道は伊那街道の伊那部宿だった町並みだった。
駅に着いたのは電車が来る10分前。前回よりはやや早かった。
皆さん、あわただしい歩きながら充実していたようだった。
お疲れサマでした。
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2008年4月6日(日) 長野県南部 晴れ 32600歩 2.5万図 下市田 伊那大島
前回の到達地点、山吹駅に向かう車中そこかしこに桜の花が見られた。
正月から始めたこの企画も春になり、冬から春へと移る季節感がいつもの年よりも鮮明に感じられる。
山吹駅から北へ上る。原城という地名が気になったのだ。
今日も山城好きのujiharaさんがいっしょなのだ。shinjiさん、 iioさんと四人。
上りきったところに原城の看板があった。やはりここが城址だったのだ。ちょうど樹木の手入れをしていた方にujiharaさんが声をかけたら、作業を中断して説明してくれた。
いつもながら親切な方に不思議とめぐりあう。
ここの地主の方なのだが、梨の木を植えたのも城址を保存するには果樹を植えるのがいいとの木村先生という方にすす
められてのことのようだ。ここが二の丸だという。
梨の木にテープが巻いてあるのだが、なぜなのかを尋ねると道路拡張のため伐られてしまうらしい。
いろいろ教えていただいてお礼を言ってこの城址をあとにする。
名子へ向かう途中、近くの神社の祭りで獅子舞がくると待っている人たちが
いる。信号機のところですれちがったのがこれ。
いろんな祭りがあるんだなあ。
名子の小学校の近くに城址があるらしい。道路端で立ち話をしていた地元の
おばさんに尋ねた。左手奥にある山の上だという。
少し遠回りになるのだが、行ってみた。
まっすぐの階段を登りきったところが名子城址。公園になっ
ていた。廻りの土塁と北側の堀らしいのがわずかに城址のなごりか。
北側の鉄橋を渡って道路から元のルートにもどる。
しばらく行って、また”原田のさくら”というのがどこなのかまた尋ねてみ
た。左
手に少し行ったところに老木があるという。すぐ近くだというのでこれも見に行く。
ちょっと早いかなというつぼみながら桜の向こうに中央アルプスが見える。
大栢(おおがや)の神社で休憩した後、飯田線の踏み切りを渡って瑞応寺近くの船山城址を探す。
しかしほとんど痕跡がない。東にちょっとした山がありそこが出丸跡だった。
出丸横から東に下る山道があり、この道を下って153号線のほうに向かう。
中田島を通過して153号線を横切り、その先の天竜川を東岸に渡る。
中川村役場あたりに大草城址があるとか。
天竜川を見下ろし中央アルプスを眺めながら、昼食にする。すぐ下に松の
大木があり、ちょうど車で通りかかった茨城のご夫婦が巨木を訪ねて廻っているそうでここに木をいっしょに見てきた。
常泉寺を右に見ながら左に折れていくと、大草城址公園
があった。ソメイヨシノはまだつぼみだったが、見事な枝垂れ桜が一本。
山の上にはエドヒガン桜が満開になっていた。
中川村中心部を抜けて下っていくと、養命酒発祥の地の看板がある。
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